San Jose Mercuryの日曜版のhttp://www.bayarea.com/mld/mercurynews/6222412.htmはConcert Companionという、classicのコンサートで解説を聴衆に配信するシステムの話。ただいま開発中。
It works this way: Each person is handed a device; Valliere has been customizing Sony Cliés for use in focus group tests, which began in Kansas City in March, drawing positive feedback from the small number of participants. As the music begins, a technician seated at a laptop in the back of the concert hall, pushes a button at predetermined points in points in the score. The information is then transmitted simultaneously to the Cliés, which run on a Palm operating system, appearing on their screens as a continuous “play by play” about the music.
カスタマイズしたClieを利用してワイヤレスで音楽・作曲者・楽器などの解説をタイムリーに送信するというもの。
賛否両論だが、classic離れが進んでいる中でより多くの人々を引き付けられるのでは、という期待がある。
以前に絵を見るって・・・というエントリーでGerhard Richter展で音声での解説用ヘッドフォンの話を書いたが、私はこういう類のオンサイト解説が好きだ。最近では、解説自体が刺し身のツマ的存在を越え、ちょっとした評論本くらいの価値をもっていると思われるものも多い。
芸術ではないが、例えば、Alcatraz島の牢獄は今は観光地となっているが、そこで借りられる解説ヘッドフォンでは、囚人として実際にAlcatrazに収容されていた人の肉声で当時の思い出が聞ける。「独房で全くすることもないので、毎日じっと夢想にふける。だんだん慣れてくると、頭の中にカラーテレビがあるようにくっきりとある場所を思い浮かべることができるようになり、いながらにして世界のいろいろなところに旅ができるようになった」みたいな話が淡々と語られて、単なるコンクリートの箱でしかない牢獄の残骸が急に生々しいものとして見えてくる。
とはいうものの「芸術の解説」は邪道では、という迷いが以前はあったのだが、それが吹き飛んだのはAndrew Wyethが自らの回顧展の作品を解説したAndrew Wyeth: Autobiographyという本。圧倒される。絵を何倍も楽しめるというのもさることながら、芸術家の頭の中ってのは、普通の人とは次元が違う構造なんだなぁ、と圧倒された。例えば、奥さんの絵がある。ちょっと紅潮した頬で、やや斜めを向いているが、それは夫婦喧嘩の最中に彼女が激昂して顔が赤くなって激しく彼をなじった瞬間に、「これだ、私は妻の本質を掴んだ」と、それを後日絵にしたのだそうだ。(別に怒っているのが彼女の本質というのではなく、感情が激した瞬間に何か本質的なものが内部からほとばしり出た、と、そういうことであろう。)夫婦喧嘩の最中にそんなことを思うダンナを持った妻は大変ではないか。それ以外にも、ふとした瞬間に「ある人間・動物・風景・その他もろもろの何かの本質を掴み取った」と感じ、それを絵にするということが繰り返し出てくる。(逆に「本質」が掴み取れず、なかなか絵がかけずに苦労したなんて話も出てくる)そうやって何かの「本質」に突然迫られ続ける人生というのは、息苦しいものではないのか。
内田善美の「星の時計のLiddell」という漫画がある。その中で、登場人物の一人が美しい風景を見て「僕は画家でも作家でもなくてよかった。画家だったらこの美しい一瞬を切り取って自分の中で絵に昇華してしまう、作家だったらこの風景を言葉にせずにはいられない。でも僕は芸術家ではないから、この美しさを美しさとして享受できる」みたいなことを言うシーンがある。(20年前に読んだものを記憶からたぐっているので、ちょっと違うかもしれないが、とにかくこういう意味のことだった。)きっとそうなんだろうなぁ、と思う。Wyethの見る世界はWyethの絵のような緊迫感に満ち溢れているのであろう。
ちなみに、Wyethの本のカバーになっている、夜の室内で犬が半眼を開いている絵は、15年位前に朝日新聞の日曜版に大きく載ったことがあった。元のタイトルは「Night Sleeper」というのだが、朝日新聞は「夜の眠り」と訳していた。が、この本を読むと「窓から差し込む月の光が、よく乗っていた夜行列車(night sleeper)を思い出させたので、このタイトルにした」とあり、誤訳だったということがわかる。重箱の隅をつつくようだが。いずれにせよ、この本はWyethファンでなくても楽しめるはずです。